煩悩まみれ大学生のイタい脳内

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感謝されることに興味が無い

実は俺はお金を稼ぐことが苦手だ。

よくわかんないけど、何を考えても収入に直結しなかったり、そもそも俺がやりたくなかったりする。

そもそもお金を稼ぐという行為にはその金額だとか、効率だとか、尺度がある。
そして人は千差万別。得意な人がいれば相対的に苦手な人というのは必ず存在するのだ。
そういう意味で俺はお金を稼ぐことが苦手だという自覚がある。


ではなぜ俺がお金を稼ぐことが苦手なのか。
そもそもお金を稼ぐとはなんなのか。
しばらく考えていたんだが、わりとシンプルな結論にいたった。


まずお金を稼ぐとは、人に感謝されることをしてその対価としてお金を戴くこと、とよく言われている。
たぶんこれで間違いないと思う。
ここで大事なのは、どんなに顧客に貢献していると思っていても、その人がそう思わなければ対価は支払われない。どんなに顧客に実際に貢献できていたとしても、その人がそう思わなければ対価は支払われないということ。必ず感謝させることが必要だ。
つまり俺は人に自分に対して感謝させることが苦手だから、お金を稼ぐことが苦手であると導ける。


ではなぜ、俺は人に自分に対して感謝させることが苦手なのか。その答えは、タイトル通りだ。


俺は人に感謝されることに興味が無い。

 

いやマジで。

ゆえにそれに向かって尽力できないというわけだ。
実は薄々これに気付いてはいたんだが、かといって何か俺の興味関心のあるものの矛先が全く人様への貢献に繋がらないわけでもなくて、長らく悩んでいた。
しかし少し上で書いたように、「貢献」は100%「感謝」に変換されるわけではない

わかりやすい例が子育てだ。親は必ずしも子に感謝されない。大勢の子供にインタビューすれば親の貢献度はゼロであると答える子も中にはいるだろう。それでも、ほとんどの親は衣食住ぐらいは提供しているので実質的には貢献度はゼロではないはずだ。それでも、子はゼロであると答える。そしてさらに、それでもあの子が幸せになってくれればそれでいいのよ、と済ませてしまう親もいる。そして明らかに昭和的な古臭い教育をして子供に煙たがられている親が、あの子のために言ってやってるのにあの子ったら分からずやだわ、とか言うのである。

つまり「貢献に一定の関心を持つこと」と、「感謝されることに無関心であること」は両立しうるものなのである。無論、俺はそのひとりだ。そして自身の貢献に自信を持って常に感謝を求めに行く姿勢は絶対的な正義ではないのである。

感謝されればリピーターになってくれて貢献する機会も増えるのでは、と思われるかもしれない。確かにそれは一考に値する。しかし同時に、主観的に貢献◯感謝×と見られる場合は一定確率でそれが貢献になっていない可能性を考慮するべきだ。つまり本当に貢献×感謝×になってしまっている可能性のこと。それを考慮せずに感謝を求めてしまえば貢献×感謝(=お金)◯となってしまい、これでは詐欺師である。だから俺は感謝を深追いしないスタンスを取っている。俺が〇〇証券だとかNHKだとか営業職だとか接待業だとかに興味を示さないのはこういう理由が背景にある。

 


俺は、誰か、恋人でもいい、友人でもいい、見ず知らずの人でもいい、貢献することにある程度は関心がある。

もし目の前の人がハンカチを落としたら99%拾ってあげるし、美味い店を見つけたら人に言いたくなるし、今から銀行員になろうとしている人がそれについて俺に相談してくれば「やめとけよ、近いうち全部ロボットになるんだぜ。納得できない?じゃあこの本を読んでみてよ。」などと意見するだろう。


人生の中で、何か人の為になることをするかもしれない。

でも俺の関心はそこで終わりなんだ。その先はどうでもいい。俺は自分を信じているので、その人がそれに価値を感じられたかどうかなんて興味が無い。

もし分からないんだったら、「その人のセンスが無いだけでしょ」「10年経ったら気付くかもね」と思ってしまう。

もちろん、上で書いたように貢献したと思っているだけで実際にはできていないパターンもある。だからそうならないように貢献を意図しているものは何事も実際に貢献できている状態に持っていくことに力を注いでいる。

しかし何度も言うようにその結果その人が俺に感謝してくれるかどうかには興味が無い。大体、何か自分のことを人に分かってもらおうだなんてことにも関心がない。貢献する機会を得るために自分の能力を開示することはあるが、この場合もやはり感謝は眼中に無い。そもそも俺はクソッタレなので、俺のような人間を理解することなんて"社会適合者"の皆様にははなから期待していないのだ。だから結果的に何かをしても人に感謝されることが確率的にあまりなくなってしまい、お金を稼ぐ機会に触れにくい。

 


「好きなことをして働く」
これが世間のスローガンになってからもう随分経った。以前はコンサルだか商社だかできっつい仕事をして稼いでその金で贅沢をするのが美徳だった。そして昨今では自分の趣味とも言えるようなことをビジネスに繋げて食っていくのがイケてる社会人の必須条件だ。

その際、美徳の移行の最中では、好きなことをして働いて、いくら稼げるのかについてはあまり論じられなかった。最低限生きていけるお金を稼げれば、嫌な辛いことをして大金稼ぐ奴らより遥かにマシ、みんながそう考えていたからだ。
しかし徐々にそれを実現させる人が増えた。好きなことを仕事にしている人が増えるにつれて徐々に「いくら稼げるのか」という話題が復活してきている。

まあ完全に消滅していたわけではないが、好きなことを仕事にして最低限稼いでいる人達からの、好きなことを仕事にして大金稼いでいる人達に対するジェラシーがより強く感じられるようになってきたと思わないだろうか?

 


何度も言うように「お金を稼ぐ」=「人に感謝されることをする」である。
そして、俺もつい最近まで誤解していたのだが「人に感謝されることをする」=「人に貢献する」だと考えている人がめっちゃ多い。

これも何度も言うが実際は「人に感謝されること」≒「人に貢献する」である。

人に貢献したからって感謝されるとは限らないし、人に貢献していなくても或いは貢献したつもりがなくても確率としては稀だが感謝されることもある。

だから記号は=でも∈でもなく≒だ。

例えばみんな大好きザッカーバーグ。彼はクラスや大学のみんなが登録して使うためのツールを作ったつもりにすぎなかったが、今や全世界の人が使い、企業がプラットフォームとしての価値を感じてその対価として広告枠使用料をfacebookに支払っている(違ったらめんご)。

もちろん今の形態よりもっと前にその可能性を感じてそれ用に必死に進歩をさせたのだろうが、いずれにせよきっかけは、彼の意図しないところでたまたま大きな価値が生まれそれを見出す人がいたという「貢献」と「感謝」の金銭的にポジティブなズレが生じたことであると言える。

俺だって人々がこの記事を読んでたまたま「みんなで人生について語り合う場にしよう!」っつって盛り上がったらみんなが使いやすいように一生懸命プラットフォーム化してその結果ビリオネアになれたら世界に向けて核兵器根絶訴えるしSAY NO TO RACISMのTシャツ着るしアイスバケツチャレンジやるし医療団体に何億円って寄付するのさ。あなたもそうでしょう?

そして以前は「人に貢献する」=「嫌なことをする」であった。(国家の成長と自己実現が同一視されていたので実際の満足度とかそれの現在との比較とかはよく分からないけどね)
しかし昨今では「人に貢献する」∈「好きなことをする」になっている。さらに大金を稼いでいる人の場合は「人に貢献する」=「好きなことをする」だ。
そして「好きなことをできているか」=「人生が充実しているか」である。
そしてもちろん「人生がどれくらい充実しているか」=「その人がどれくらいイケてるか」だ。
結果として、いくら稼いでいるかがその人の人生の充実度、ひいてはその人がどんだけイケてるかにまで直結してしまっている。

だから今現在お金をなかなか稼げていない人たちは、自他ともに評価を下げてしまい、自信を喪失している人が多いのだと思う。なんて生きにくい世の中なのだろう。


しかし今回の記事で俺が証明したように、人に感謝されることと人に貢献する(できている)ことは同義ではない。それらは重なることも多々あるが重ならないことも有り得る。その筆頭は子育て。誰にも否定しようが無い。親は子のために叱るがそのときその子供は腕力さえ敵えばこの親父マジぶん殴ってやるのにとか思ってる。貢献と感謝は本来的に距離のあるものなのだ。
だからだ、「いくら稼げるか」は「どんだけイケてるか」と繋がっていない。みんながあると思っている"="はそこには無い。

つまりお金をたくさん稼いでいる人が偉いとか、立派だとか、お金を稼いでいない人がダメだとか、みっともないだとか、そういう理論は全て"偽"だ。間違っている。

何度も言うように「お金」は「感謝」で動く。お金とはそういう、「どんだけイケてるか」を示すにはあまりに不完全な尺度であり、より適切な尺度たりうるのは「人生の充実度」「好きなことをする」「人に貢献する(と思っている)」といった自己満足的なものしか無い。
ゆえに、あなたは自分がどれだけイケてるのか、あなたの収入に関係なくあなた個人の基準で自由に決められるし、あなたはある人がどれだけ稼いでいてもそれを理由にその人のイケてる度を評価できないし、全く同じく、その人がどれだけ借金を抱えていてもそれを理由にイケてる度を評価することは不可能なのである

 

 

これまた何とも自己正当化的な文章を書いてしまったようだ。

 

てことで俺は人に感謝されることに興味が無い。

そしてそんなわけか俺にはお金が無い(借金は無いよ笑(お金を借り入れて返済するのを繰り返しておくと信用的にはポジティブらしいね!!))。

 

ああ、お腹が空いたなあ…壁|ω・`)チラッ