煩悩まみれ大学生のイタい脳内

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教育格差とは

巷でよく言われている教育格差とは、お金持ちの家の子供たちだけが塾に通えてしまうことや、地方の子供たちが質の高い教育を受けられていない、といったことが挙げられる。


これらは確かに深刻である。俺も実際に中2冬〜中3受験期まで塾に行かせてもらい、幼小中高と横浜で育った身としては、それらの恩恵は大きかったように思う。
地頭に自信があったとはいえ中2の冬以降偏差値が伸びたのは明らかに塾の影響だし、公立でありながら超豪華(大学並みの実験設備、様々な研究者との交流、海外ホームステイなどの機会が得られる)な高校に通えたのも横浜市という都会に住んでいたおかげである。
笑いのセンスも無いので、俺が例えば千鳥の大悟みたいな環境で育っていたら今頃はもうなんというか色々とヤバかったはずだ。


しかし、これらよりももっと難しい教育格差が存在する。

そして難しいがゆえにまだ多くの人が対処できていなかったり、人によっては認知すらしていない場合もある。


それは2つある。
1つ目は、性格による適合格差。
2つ目は、親の経済力格差による勉学以外の経験の格差だ。


まずは1つ目の性格の話。
徐々に変わりつつあるが、これまでの日本の教育は「暗記型」であった。最近ではアクティブラーニングなども採り入れられているが、根本的な精神は個人的にはまだまだ暗記型であると見受けられる。
そしてこの暗記型、昨今は散々な言われようだが、実は万人にとって毒なわけではない。

例えばストレングスファインダーで「規則性」の才能があると診断されるような人にとっては、この日本式教育というのは最適である可能性が高い。


一方で、日本式教育が全くマッチせず完全な毒となってしまうのが、何を隠そう俺も強みの最上位に持っている「着想」の才能がある人々だ。理由はこちらのブログで詳しく述べられている。

要は「覚えろ、と言われるとその理由を問わずにはいられないし、その理由は生まれてから死ぬまで全て一貫されていなければ気が済まない」のが着想人間なのだ。

「これを覚えなさい」「これをやってみなさい」といった指示を素直に受け入れることができないので、その経緯の説明を省略した産物である暗記とは相性が最悪なのである。
俺はたまたま地頭が良かったので救われたが、これでもし地頭が悪く、都会に住んでても塾に行っても暗記ができなかったらマジでたまったもんじゃない。
冒頭で述べた一般的な教育格差において有利な立場にいながら、性格と教育システムとの相性が悪いせいで低学歴の烙印を押されてしまうのだ。

おそらくそういう境遇の人はたくさんいると思う。


冒頭で述べたように、貧困層や地方に蔓延る課題は深刻である。深刻であり目に見えやすいがゆえに、現在では社会の目がそういった状況に置かれた人たちに対して暖かくなっている。

そして、自分たちは格差に対処している。だからその格差に飲まれていないのに学力が低いのはひとえにそいつの努力不足だ、社会不適合なんだ、そんな声が聞こえるのである。
これはとても危険だ。特にこうして初めて問題に対処したあとというのはなんだかそれで全て解決したかのような感覚を持つので、それで例外が出るとなんでもそれ自身の責任になってしまう。


というわけで少し掘り下げすぎてしまったが、人によって合うカリキュラム合わないカリキュラムがあるのである。

本来ならその人のタイプを見極めてそれに合った教育を提示すべきなのだが、効率性重視なのか単に旧態依然なのか、全ての生徒にほぼ一律で暗記型の教育が為されているために、その異なる性格によって、それに適合できるできないという格差が存在するのである。


2つ目の勉学以外での格差について。
これはもう少しシンプルでありながら、今後より深刻になっていくのではないかと見ている。
説明せずともお分かりいただけるとは思うが、つまるところ、親がお金持ちであれば子供をダンススクールに通わせることも留学に行かせることも起業させることも貧乏である場合に比べて遥かに容易い、という話だ。

これからの時代、IoTや自動化によって個人の経験がより価値を持つと言われている。

そうなると必然的に幼少期から色んな経験を積んできた人が強いし、そうなれるのはほとんどがお金持ちの子供であるため、ここに経済格差が表れてしまう。
日本は豊かなので、別に親が貧乏でその子供も大した経験できずに負け組になったとしても、死ぬことはない。生きていける。生きていけるし貧乏用の娯楽もありったけ揃った。

しかし一方で幼い時から華やかな生活を送り、生涯資産家として暮らす人間が存在してしまう。


この問題をどう見るか、中には貧乏でいいから何もしないでただぐーたらしていたいという人もいる(俺もそっち派)。そしてもちろん、なんとか格差を無くそうとする動きもあるわけだ。そしてもちろんそれを良く思わない人も一定数存在するはずだ。
だから今後の流れとしては、格差自体は存在したまま、段々と色んな行為の経済的敷居が下がってきて貧乏人にも普及していき一方で富裕層はまた新しいことを始めている、というのが続くのかなと思っている。


何を書いているのかよく分からなくなってしまったが、俺が思う教育格差とはこんな感じだ。目に見えにくいがゆえに人々がドライになってしまったり、中々解決が難しい類の格差が存在するとお分かりいただけたと思う。1つ目はたまたま俺に考えがあったのでその解決策まで触れてしまったが、2つ目は特に思いつかないので適当な予想を示すに留めたw
保健の例の分野でアクティブラーニングとかやらせたら盛り上がるんだろうなー(真顔)


おわり