煩悩まみれ大学生のイタい脳内

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投票しなくてもいい人たち

つい先日、衆議院議員総選挙があった。
今回はいつにも増して、参政権の行使について議論がなされた選挙であったように思う。
実は俺は投票に行かなかった。投票したいと思わなかったし、その理由を掘り下げると、俺にとっては今回の選挙で参政権の行使を放棄することが至極真っ当なことであると結論付けられたからだ。

なぜ俺が投票したいと思わなかったのか。正直見当は付かなかった。とにかくその必要が無いと思ったのだ。するとこれは、そもそもなぜ人々が投票する必要があるのか考えたほうが分かりやすそうだった。
こうなると義務教育の範囲内のクソ当たり前な話だ。元はと言えば、数十年から数百年前までいわゆる普通選挙というのは世界で実現していなかった。その時代では絶対王政とか軍事政権みたいなものが盛っており、一般市民は常に不利な生活を強いられていたし身分制度なるものによる差別も空気のように横行していた。
やがてそのような制度を変革すべく世界各地で市民革命的なものが頻発し、全ての国民が参政権を行使できる民主主義国家が誕生した。といった流れだろう。
つまり参政権の行使には「超理不尽な法律をどうにかしたい」というニーズが根底にあるのだ。
しかし今の日本はどうだろう。政党によって多少税制の方針などは異なるが、別にどの党になっても奴隷制が復活したり急に外国に戦争ふっかけたりするわけではなかろう。別に何もしてくれなくても生活インフラは十分に整っている。
投票をしない理由としてよく「どの政党にも希望が持てない」だとか「自分が投票したところで〜〜」といったものがよく見られるが、俺の場合はこれらに該当しない。


俺は全ての選択肢に満足しており、それゆえに誰が投票して誰が政権を握ってもそこに文句は無いのである。


満足というのは、命に別状が無い、という意味での満足である。本当の意味で満たそうものなら「"俺"に毎日5000兆円と美女100人を贈呈」のような政策でも掲げてくれなければ達成されない。
命というスケールで、満たされないからこそ近現代の人々は血を流して戦い、参政権を手に入れたのである。
今の日本で、投票率が今よりも減少したとしても上述したような悪法を制定する政治家は現れないだろう。そんなことがあれば不満が続出してすぐ解散になるし、国連が黙っていない。

そんなわけで、かの震災の影響も特に感じられなくなった昨今、どの政党に任せても安心と思う人が今回の選挙では多かっただろうしそれを理由として参政権を放棄したことは至極真っ当なことと言えるだろう。