煩悩まみれ大学生のイタい脳内

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第2外国語がこれから流行る理由

 

英語が当たり前だからこそ第2外国語がいい

 「英語がグローバルスタンダードである」

これはもはや常識だ。スタンダード。当たり前ってことだ。

だからこそ俺は英語以外の外国語の習得が価値を持つと思っている。

 

これは簡単な話で、例えば日本で教育を受ければ国数理社英はある程度のレベルで習得するわけだ。

でも実際に金を稼ぐのに使えるのは例えば金融に関する知識であったり、プログラミングの技術であったり、洗練された歌声だったり、ユーモア溢れるお笑いコントだったりする。

 

つまり英語力、英語で仕事ができるという能力ではなく、スタンダードになっていない第2外国語が価値を持つんじゃないか、そう考えている。

 

もちろん今はパラダイムシフトの中途にあり、英語力はある程度金になる。まだまだスタンダードになっていないからだ。

これと同じことが、完全に「英語がグローバルスタンダード」になった後、第2外国語で起こる。

 

実際に、世界でも英語を使えるレベルで習得している人は思っているよりも少ない。

 

俺は行ったことがないから定かではないが、英語を覚えやすいと言われるヨーロッパ人でさえ、イギリスオランダと北欧3国を除けば、半分近くは英語を使えないと言われている。

ドイツでさえ、フランクフルトやハンブルクの郊外では人々はほとんどドイツ語しか話さない。(←親父談)

スペインのカタルーニャ地方ではアイデンティティーを維持するため、スペイン語に加えてカタルーニャ語が教えられている。英語にまで手が回らないのだ。

 

俺が訪れた国の話をしよう。

英語圏では、韓国のソウルと、ベトナムハノイホーチミン、タイのバンコクを訪れた。

 

韓国では北朝鮮国境近くの町を散策したことがある。

俺は韓国語が話せるので、道に迷ったり置いてある機器の使い方が分からないときは現地の人に何かと助けてもらうことができた。

そうはいっても俺にとっては英語のほうがよく使えるので、より詳しく説明してほしいとき、英語を話せるか聞くと答えは노ㅋ(ノーw)だ。

この町のような田舎では、そこらに置いてある暖簾や看板に、英語は存在しない。

現地語が分からなければ、そこにある建物が何のお店なのか、何がお買い得なのか、知ることはできない。

 

ベトナムでは首都ハノイの下町を散策した。

俺は(顔はベトナム人だが)ベトナム語は分からない。

だから韓国のときと同じように道を聞きたければ、英語で聞くしかなかった。

もちろんタクシーに乗ればいいのだが、地名や路地がよう分からんので大体の目印に着いたあとは適当に歩くしかないのである。

 

案の定迷子になるので警察官に道を聞くのだが、これまた案の定ほとんど話してくれない。

ある親切な婦警の方が一生懸命案内してくれたが全てベトナム語だった(笑)

連れが何故かうんうん頷きながら聞いていたので、めっちゃ案内してくれた。ベトナム語で。

方向はわかったので全く逆の方向に行って地球を1周することは免れたが、結局その辺にいたアメリカ人カップルをつかまえて案内してもらいホテルに辿り着くことができた()

 

ベトナム飯は美味いので色々食べてみたいのだが、俺はPHO(フォー)(本当はもう少し色々な記号が付いている)しか理解できない。

フォーには鶏肉を入れることもあれば牛肉を入れることもある。

ホーチミンの路地裏でフォーを食べに寄った屋台では、発音の癖の違いのせいなのか、「ビーフ」が伝わらないのでピンクい肉でなく濃い赤色の肉を指差して注文した。

 

 

まあさして大したエピソードでもないだろう。単に言葉が通じない。これはこれで面白いもんだ。

でもこれで片付けるのはもったいない。

 

もしベトナム語が分かって、町中のベトナム語を読むことができたら、彼らの生活をもっともっと深く知ることができたはずだ。

なんだか雰囲気が怖くて足を踏み入れなかった路地にも、言葉がわかれば気付いたであろう素敵なお店に出会えたかもしれない。

 

言葉が分からないだけでこうして簡単に、人生を豊かにする機会を失うんだ。そしてそれは英語ができるだけでは案外、防げないものだ。

 

別に外国語力だけを美化したいわけではない。

冒頭で挙げたコーディングスキルや美的センスももちろん大事。

でも語学力だけは、近年の英語偏重によって過小評価されていると思う。

確かに英語がスタンダードになる前は英語力は価値があった。相対的に第2外国語の価値は下がる。

しかし間もなくその時代は終わる。英語が文字通りスタンダードになりつつあるからだ。

その後に第2外国語が価値を持つのは先に述べた通り。

これから、価値を持つようになる。もう間もなく需要が生まれる。これが俺が第2外国語の重要さを主張する所以だ。

 

自動翻訳技術

 「そうはいってもハゲ、Google様がせっせと自動翻訳技術を向上させているではないか。カメラに写った文章を翻訳して表示する機能も見たぞ」

そんな声が聞こえてきそうである。

確かに。難しいと言われていた日英翻訳も劇的に向上している。

 

それでもなお俺は第2外国語の価値を主張する。

 

細かく事の段階を書くと長ったらしいので結論から述べると、「人の温かみ」をもたらすことにより価値を持つと考えている。

機械化によって効率性が極限まで達成されたとき、人々は人間味を求めるようになる。最近ではそこら中で言われていることだ。

 

英語の台頭と自動翻訳技術の向上によって、人々は英語や機械を通して意思疎通ができるようになっている。

考えてもらいたいのは、もし、自動翻訳技術が高度に普及したときどんな世界になるかだ。

前提として、あまり先の世界を考えても即効性のある需要がないので、「ある言語と英語」の自動翻訳技術が満足の行くレベルまで向上し普及した世界を想像してほしい。

 

人々は国境を越えてビジネスを行うにあたり、機械と英語を通してコミュニケーションを取るだろう。無駄はない。完璧だ。

 

完璧。

 

完璧だが、それではどこで競合他社に差をつけるんだ?

 

もちろん、より優れた提案をすればいい。確かに。できるならね。できるなら。しかしできる確証はないだろう。

 

そんなとき、他社と違ってわざわざ自国の言葉を覚えて近づいてきた人を、そのクライアントは冷遇するだろうか?

 

もちろんそいつが自国の言葉を話せたところで利潤は増えない。もしかしたらほんの少し他社のプランのほうがいいかもしれない。

 

でもきっと、そのクライアントは母国語でおしゃべりできるほうを選ぶんだ。

 

あまりに定性的すぎる?納得できない?論理的に飛躍がある?

少なくとも国産の食材や国産の車が大好きな日本人なら、オールジャパンとか言って人件費垂れ流しながら意味不明な意地を張る日本人なら、そのときになってみれば分かると俺は思う。

 

単純におもしろいので勧めたい

これまでお金になるとか、価値を持つとか、需要が生まれるとか、割とドライな話をしてきた。

人間味がどうだといった話も結局ビジネスを念頭に置いたもの。

いくらそんなことを言われても、それ自体が苦痛なら人々は手を出さないよね。おっさんやOLがいつまで経っても痩せないのと同じ。俺はコーディングが苦痛だからエンジニアにはなれない。

 

でも外国語は、おもしれえんだ。とにかく。

 

あなたが何に関心があるかわからないけど、例えばフランス語だったらちょっと覚えるだけで女子が好きそうな雑貨に書いてあるよくわかんない文字列の意味がわかるようになる。

スペイン語だったらアメリカにはやたらとスペイン語由来の地名とか多かったりするし、日本国内でも飲食店の名前が実はスペイン語なことがよくある。「あ、このお店壁が白いからカサブランカなんだw」みたいにね。

街にあるハングル文字やキリル文字アラビア文字。読めない人にとってはただの落書きと変わらないというかそれゆえにもはや存在すら認識していないかもしれないけど、それが読める人はいつもそれらからも刺激を受けている。

 

他にも、外国語は英語だけしか、という人にとっては文法上しばしば直訳が可能な韓国語や、韓国語がわかる人でも欧州言語でありながらたまに直訳したような文章になるドイツ語などは、それを体感したとき言葉がヌルヌルと脳みそに入ってくる感覚は何にも代え難いだろう。

 

さらに、外国語を人生のピースのひとつに加えることは我々の心を楽にさせてくれることがよくあると俺は思う。

なんていうか、新しい世界へのアクセス権を獲得したような感覚が、自分に逃げ道を与えてくれる気がして、ワクワクさせてくれる。

日本で食いっぱぐれそうでも、インドネシア語ができれば有り金持ってジャカルタ行ってひっそり暮らせるなとか、ソウルの安いコシウォンでしばらくやり過ごすことも選択肢にあるなとか、とにかく最悪の事態を改善させてくれる。

例えばエンジニアだったら、フリーランスでも稼ぐレベルのスキルを身につけるにはそこそこの努力が必要だと肌感覚で思う。

画家やバンドマンだったら、どうしてもその時自分がいる場所の人たちからお金をもらうことになって、物価の差の恩恵を受けられない。

もし仮にフリーランスエンジニアになるスキルがあったり、アーティストとして日本で打ち出の小槌を作ることができたとしても、いつでも自分には外国に移って生活コストを下げ、QOLを高く保つ、そんな選択肢が自分にはある。

やばくなったらいつでも外に逃げればいい。そう思えるだけでも人生は少し豊かになるはずだ。そういう力が語学にはあるよ。